不便な暮らし

先日の全国的な大寒波で、我が家はお湯が出なくなりました。もちろんこの地で暮らしているので、主要な水道管には電熱線が巻いてあり、巻いてない水道にはバスタオルやプチプチを巻いておき、備える準備はしていました。

以前にも度々お湯が出なかったり、お水が止まっている場所があったりはしましたが、大体日中のうちに溶けて元通りになることが殆どでしたが、今回は日中もずっとマイナスだった為丸一日お湯が出ませんでした。15年以上住んでいてここまでは初めてです。

私たちの今の生活は便利なもので溢れており、それが当たり前のように暮らしている日々。特に日本は諸外国よりもとてもきめ細やかな生活を送れています。トイレの便座一つをとっても、各家庭で便座が暖かいなんて、ましてやウォシュレットがついているなんて、なかなかないと思います。でも、その当たり前に慣れすぎてしまうのも怖いなあと思ってしまう自分もいます。全てが当たり前だと思い込んで過ごしていたら、電気が、ガスが、携帯がと、何かに支障が出た場合など、それだけで生活するのが楽しくなくなってしまうような気がして。

今回の我が家はお湯だったので、朝の洗顔はお湯を沸かして水と混ぜて出来ましたし、食器の洗い物だってストーブにかけておいたお湯を使いながら、洗濯だって数日くらいしなくても大丈夫(今回は多分洗濯配管も凍っているのではと思い数日控えました)、お風呂だって近くに温泉だってあるし、1日くらい入らなくても死にゃあしない。これくらい、大丈夫、大丈夫と慌てず思える自分でありたいなぁと思ったり。

それには、普段から少し不便なくらいでちょうど良いのかもしれない、なんて。

ここは買い物に出かけるにも1時間くらいかけて出かけることも普通だし、携帯も会社を選ばないと電波来ないし、寒ーいオフシーズンが長いなど不便なところもあるけれど、畑で野菜は作れるし、いざとなれば水も汲みにいけるし、薪も燃やしやすいし、星も綺麗。

いろんな便利にどっぷり浸かった生活も快適で良いけれど、やっぱりどこかで便利に慣れすぎないちょっと不便な生活も生きる力を育めそうで良いんじゃないかなぁなんて。

便利と不便、程よい距離感を考えていきたいです。

この記事を書いた人

Yumi Asakawa

nest+のハンドクラフト部門hiyoriのモノづくり担当。旅好きモノ好き暮らし好き。旅するように暮らしたい、暮らすように旅したい人。趣味は衣食住旅作。5歳児のママ、日々修行中。